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松本サリン事件(河野義行氏)

河野 義行(こうの よしゆき)

誤認捜査不起訴・釈放

1994年6月27日、長野県松本市でオウム真理教によりサリンが散布され7名が死亡、約600名が負傷(うち1名は2008年に死亡し計8名)。第一通報者であり自身も被害者であった河野義行氏が重要参考人とされ、事件翌日に自宅を家宅捜索。マスコミ各社は警察発表を無批判に報じ、半年以上にわたり犯人視報道を続けた。翌年の地下鉄サリン事件後にオウム真理教の犯行と判明。報道被害・冤罪未遂事件の代表例。2002年、河野氏は長野県公安委員に就任し、県警本部長から初めて正式な謝罪を受けた。

逮捕年
1994
無罪確定年
1995
期間
1年
確定判決
任意捜査のみ(起訴なし)
都道府県
長野県
地域
中部
捜査機関
長野県警
時代
現代
刑事手続き進行度
捜査
逮捕
起訴
一審
控訴審
上告審
確定
服役
再審
犯人視強制捜索真犯人判明(オウム真理教)
通過有罪等無罪等進行中

1994年6月27日、長野県松本市でオウム真理教によりサリンが散布され7名が死亡、約600名が負傷(うち1名は2008年に死亡し計8名)。第一通報者であり自身も被害者であった河野義行氏が重要参考人とされ、事件翌日に自宅を家宅捜索。マスコミ各社は警察発表を無批判に報じ、半年以上にわたり犯人視報道を続けた。翌年の地下鉄サリン事件後にオウム真理教の犯行と判明。報道被害・冤罪未遂事件の代表例。2002年、河野氏は長野県公安委員に就任し、県警本部長から初めて正式な謝罪を受けた。

事件発生
1994
被告人
河野 義行(こうの よしゆき)
判決
任意捜査のみ(起訴なし)
現在のステータス
犯人視報道・誤認捜査
冤罪の原因
見込み捜査、報道被害、客観的証拠の欠如

タイムライン

事件不利有利手続事後
1994.06.27松本サリン事件発生

長野県松本市でオウム真理教によりサリンが散布。7名が死亡(後に1名追加で計8名)、約600名が負傷。河野義行氏も被害者として入院

1994.06.28河野氏宅を家宅捜索

長野県警が第一通報者の河野義行宅を被疑者不詳のまま家宅捜索。薬品類など数点を押収。以後、連日の取り調べ

1994.07.03散布物質がサリンと判明

ガスクロマトグラフィー/質量分析により散布された物質がサリンであると判明

1994.07犯人視報道の過熱

マスコミ各社が警察発表を無批判に報じ、河野氏を犯人扱いする報道が過熱。全国から誹謗中傷の手紙が送られる

1994.11サリン残留物検出

長野県警がオウム真理教施設周辺の土壌からサリンの分解物を検出

1995.03.20地下鉄サリン事件発生

地下鉄サリン事件の発生により、オウム真理教への強制捜査が開始。河野氏への嫌疑が晴れる

1995.05オウム幹部が犯行自供

土谷正実らオウム幹部が松本サリン事件を含む一連の犯行を自供

1995国家公安委員長が謝罪

当時の国家公安委員長・野中広務が個人として河野氏に直接謝罪。長野県警本部長は「遺憾」表明のみで直接謝罪なし

2000オウム真理教が謝罪

アレフ(旧オウム真理教)が河野氏に直接謝罪

2002河野氏が県公安委員に就任

田中康夫長野県知事により長野県公安委員会委員に任命。県警本部長から初めて正式な謝罪がなされた

2008.08.05河野氏の妻が死亡

事件で負傷し加療中だった河野義行氏の妻が死亡。事件の死者は8名に

参考リンク

日本の黒い夏─冤罪映画
(2001)

1994年の松本サリン事件で第一通報者の河野義行氏が冤罪に陥れられる過程を描いた社会派映画。警察の強引な任意同行とマスコミの誤報による過熱取材を告発する。長野県松本美須々ヶ丘高等学校放送部制作のドキュメンタリー『テレビは何を伝えたか』を基にした平石耕一の戯曲『NEWS NEWS』を原作に、熊井啓が監督・脚色。中井貴一、寺尾聰、細川直美、北村有起哉、石橋蓮司ら出演。第11回日本映画批評家大賞作品賞、第51回ベルリン国際映画祭ベルリナーレ・カメラ賞受賞。119分・日活配給・2001年3月24日公開。

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