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小島事件

冤罪無罪確定

1950年5月10日深夜、静岡県庵原郡小島村(現・静岡市清水区)で、飴製造業者の妻B(当時32歳)が薪割り斧で撲殺された強盗殺人事件。国家地方警察静岡県本部警部補の紅林麻雄を主任とした捜査により、被害者一家に借金があった27歳の村人Aが浮上。事件発生から約1か月後の6月19日に材木窃盗容疑で別件逮捕され、翌20日にBの殺害を自白したが、公判段階では自白を撤回し取調べでの拷問を訴えた。事件には自白以外の直接証拠が乏しく、自白調書の内容には度重なる変遷もあった。それでも一審の静岡地裁第一合議部(1952年2月18日、求刑死刑)と控訴審の東京高裁第六刑事部(1956年9月13日)は無期懲役の有罪判決。控訴審からは松川事件弁護人で知られる海野普吉が弁護人に着任した。並行して紅林が主任を務めた二俣事件・幸浦事件の死刑判決が次々と最高裁で破棄差戻しとなり、紅林は「昭和の拷問王」と指弾され実質二階級降任。1958年6月13日、最高裁第二小法廷(小谷勝重裁判長)は、自白の任意性に疑いがあるとして「原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反する」と判示し破棄差戻し。差戻審の東京高裁刑事第一部は1959年12月2日に一審判決を破棄し無罪を言い渡し、12月26日の上告期限内に検察が再上告せず無罪確定。Aは刑事補償として138万5600円を受け取った。本判決は、最高裁が捜査員に対する信頼を失い自白の信用性そのものを差戻し理由としたケースとして判例上の意義を有する。

逮捕年
1950
無罪確定年
1959
期間
9年
確定判決
無期懲役
都道府県
静岡県
地域
chubu
捜査機関
静岡県警
時代
刑事手続き進行度
捜査
逮捕
起訴
一審
控訴審
上告審
確定
服役
再審
通過有罪等無罪等進行中

1950年5月10日深夜、静岡県庵原郡小島村(現・静岡市清水区)で、飴製造業者の妻B(当時32歳)が薪割り斧で撲殺された強盗殺人事件。国家地方警察静岡県本部警部補の紅林麻雄を主任とした捜査により、被害者一家に借金があった27歳の村人Aが浮上。事件発生から約1か月後の6月19日に材木窃盗容疑で別件逮捕され、翌20日にBの殺害を自白したが、公判段階では自白を撤回し取調べでの拷問を訴えた。事件には自白以外の直接証拠が乏しく、自白調書の内容には度重なる変遷もあった。それでも一審の静岡地裁第一合議部(1952年2月18日、求刑死刑)と控訴審の東京高裁第六刑事部(1956年9月13日)は無期懲役の有罪判決。控訴審からは松川事件弁護人で知られる海野普吉が弁護人に着任した。並行して紅林が主任を務めた二俣事件・幸浦事件の死刑判決が次々と最高裁で破棄差戻しとなり、紅林は「昭和の拷問王」と指弾され実質二階級降任。1958年6月13日、最高裁第二小法廷(小谷勝重裁判長)は、自白の任意性に疑いがあるとして「原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反する」と判示し破棄差戻し。差戻審の東京高裁刑事第一部は1959年12月2日に一審判決を破棄し無罪を言い渡し、12月26日の上告期限内に検察が再上告せず無罪確定。Aは刑事補償として138万5600円を受け取った。本判決は、最高裁が捜査員に対する信頼を失い自白の信用性そのものを差戻し理由としたケースとして判例上の意義を有する。

事件発生
1950
被告人
判決
無期懲役
現在のステータス
冤罪の原因
自白強要、別件逮捕・別件勾留、見込み捜査、客観的証拠の欠如

タイムライン

事件不利有利手続事後
1950.05.10事件発生

静岡県庵原郡小島村で、飴製造業者の妻B(当時32歳)が深夜に自宅で薪割り斧により撲殺される。現金2500円が奪われた強盗殺人事件

1950.06.19別件逮捕

事件発生から約1か月後、Aが庵原地区署に任意同行を求められ、材木等の窃盗容疑で別件逮捕。窃盗の件はすぐに不起訴となるが、本件強盗殺人容疑での取調べが続く

捜査:国家地方警察静岡県本部(主任:紅林麻雄警部補)
1950.06.20自白

別件逮捕翌日、AがB殺害を自白。後に拷問による自白と主張

1950.07.12強盗殺人で再逮捕

本件強盗殺人容疑でAが正式に再逮捕

1950.07.20起訴

強盗殺人罪で静岡地裁に起訴。最終的に7通の員面調書と2通の検面調書が作成された

1952.02.18一審 無期懲役

静岡地裁第一合議部が無期懲役判決を言い渡し(検察求刑:死刑)。9通の自白調書すべてに証拠能力を認定

1953.11二俣事件 最高裁破棄差戻し

紅林麻雄が主任捜査官を務めた二俣事件の死刑判決を最高裁が破棄差戻し。本件と同様の「拷問」「自白依存」が問題視され、後の本件破棄差戻しの伏線となる

1956.09.13控訴棄却

東京高裁第六刑事部が控訴棄却。弁護人には松川事件弁護人として知られる海野普吉が着任していた

1957.02幸浦事件 最高裁破棄差戻し

紅林が主任を務めた幸浦事件の死刑判決も最高裁が破棄差戻し。紅林は「昭和の拷問王」と指弾され、御殿場署次席警部から吉原署駅前派出所交通巡視員待遇への実質二階級降任となる

1958.06.13最高裁 破棄差戻し

最高裁第二小法廷(小谷勝重裁判長)が、自白の変遷、親族による拷問痕の目撃証言、静岡刑務所のマーキュロ・ペニシリン軟膏宅下げ記録、元主任検事による自白の不自然さ証言などを指摘し、「原判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反する」として破棄差戻し(昭和31(あ)4204号)。最高裁が捜査員に対する信頼を失い自白の信用性そのものを差戻し理由とした判例として意義づけられる

1958.10差戻審 開始

東京高裁で差戻審公判開始。警察官・関係者数十人が新たに出廷

1959.12.02差戻審 無罪判決

東京高裁刑事第一部が一審判決を破棄し無罪を言い渡し。員面調書のみならず検面調書についても、検事自身による圧力の有無に関わらず捜査員が圧力を加え得る状況であったとして任意性に疑いがあると認定し、自白調書の証拠採用をすべて退けた。12回の公判と2度の現場検証を経て、公判中に裁判長は3度交代した

1959.12.26無罪確定

上告期限内に検察が再上告せず無罪確定。Aは後に刑事補償138万5600円を受領

参考リンク

百科事典小島事件 - WikipediaWikipedia

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