1952年2月25日、青森県東津軽郡高田村(現・青森市)で57歳の女性が強姦の上殺害され、現金が奪われた事件。警察は「日没後に衣類で顔を覆って歩いてくるところを目撃した」という近所の子供の証言を基に、近くに住む男性A(当時30歳)を3月2日に逮捕。厳しい取調べの末に自白を引き出し起訴した。公判でAは一貫して否認したが、同年12月25日に懲役10年の実刑判決を受け服役、1958年に仮釈放。1966年、別件の窃盗で裁判中だった被害女性の甥(当時33歳、事件当時18歳)が真犯人として名乗り出て、金目的で叔母を絞殺した後に屍姦に及んだと詳細に自供。東京大学法医学教授による鑑定でも甥の自白と被害者の所見が合致したが、殺人罪の公訴時効成立2日前の1967年2月23日に東京地検が甥を起訴。これにより、青森地検・仙台高検がA犯人説を主張する一方で東京地検が甥犯人説を主張するという「検察官同一体の原則」に反するねじれ現象が生じた。甥は公判で否認に転じ、1968年に東京地裁は甥の自供は虚偽として無罪判決。検察が控訴したが、1970年5月5日に甥は自殺し公訴棄却。その後、日弁連の支援のもと再審請求が行われ、1978年7月31日、青森地裁は甥の自白のほうが物的証拠との符合が多く信頼性が高いとして、Aに再審無罪判決を言い渡した。Aは2006年6月29日に死去(享年84)。
1952年2月25日、青森県東津軽郡高田村(現・青森市)で57歳の女性が強姦の上殺害され、現金が奪われた事件。警察は「日没後に衣類で顔を覆って歩いてくるところを目撃した」という近所の子供の証言を基に、近くに住む男性A(当時30歳)を3月2日に逮捕。厳しい取調べの末に自白を引き出し起訴した。公判でAは一貫して否認したが、同年12月25日に懲役10年の実刑判決を受け服役、1958年に仮釈放。1966年、別件の窃盗で裁判中だった被害女性の甥(当時33歳、事件当時18歳)が真犯人として名乗り出て、金目的で叔母を絞殺した後に屍姦に及んだと詳細に自供。東京大学法医学教授による鑑定でも甥の自白と被害者の所見が合致したが、殺人罪の公訴時効成立2日前の1967年2月23日に東京地検が甥を起訴。これにより、青森地検・仙台高検がA犯人説を主張する一方で東京地検が甥犯人説を主張するという「検察官同一体の原則」に反するねじれ現象が生じた。甥は公判で否認に転じ、1968年に東京地裁は甥の自供は虚偽として無罪判決。検察が控訴したが、1970年5月5日に甥は自殺し公訴棄却。その後、日弁連の支援のもと再審請求が行われ、1978年7月31日、青森地裁は甥の自白のほうが物的証拠との符合が多く信頼性が高いとして、Aに再審無罪判決を言い渡した。Aは2006年6月29日に死去(享年84)。
- 事件発生
- 1952年
- 被告人
- 米谷四郎(まいや しろう)
- 判決
- 懲役10年→再審無罪
- 現在のステータス
- 無罪確定
- 冤罪の原因
- 自白強要、目撃証言の問題、客観的証拠の欠如
- 支援
- 日本弁護士連合会
タイムライン
青森県東津軽郡高田村(現・青森市)で57歳の女性が強姦の上殺害され、現金が奪われる
「日没後に衣類で顔を覆って歩いてくるところを目撃した」という近所の子供の証言を基に、近くに住む男性A(当時30歳)を逮捕。厳しい取調べで自白を引き出す
青森地裁が懲役10年の実刑判決。Aは公判で一貫して否認したが認められず
Aが仮釈放となる
別件の窃盗で裁判中だった被害女性の甥(当時33歳、事件当時18歳)が真犯人として自供。金目的で叔母を絞殺し屍姦に及んだと詳細に供述。東京大学法医学教授による鑑定でも自白と被害者所見が合致
殺人罪の公訴時効成立2日前に東京地検が甥を起訴。青森地検・仙台高検がA犯人説、東京地検が甥犯人説を主張する「検察官同一体の原則」に反するねじれ現象が発生
東京地裁が甥の自供は虚偽であるとして無罪判決。検察が控訴
控訴審の最中に甥が自殺。公訴棄却となる
日弁連の支援のもと再審請求。青森地裁が「甥の自白のほうが物的証拠との符合が多く信頼性が高い」としてAに再審無罪判決
Aが死去(享年84)