防衛医大教授痴漢冤罪事件
名倉 正博(なぐら まさひろ)
2006年4月18日朝、東京都世田谷区内を走行中の小田急小田原線・成城学園前~下北沢駅間の準急電車内で、女性(A)の下着に手を入れ下半身を触ったとして、防衛医科大学校の教授が警視庁に強制わいせつ容疑で逮捕された。東京地検に起訴された後も、教授は一貫して容疑を否認した。
一審・東京地裁は、「教授の左手で触られていた」「満員電車で回避行動が困難だった」「一度電車を降りた後に被告の隣に立ったのは乗客に押されたため」とするAの証言の信用性を認め、懲役1年10か月の実刑判決を言い渡した。教授は控訴したが、東京高裁も一審判決を支持し、控訴を棄却した(2007年8月23日)。
教授側は最高裁に上告。2009年4月14日、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は、控訴審判決を破棄し、刑事訴訟法411条3号に基づき、痴漢事件としては初の逆転無罪判決を言い渡した。本件の証拠は被害者Aの供述のみで、被告人の手指の繊維鑑定は行われたものの、検出された繊維がAの下着に由来するものかどうかは不明だった。判決は、教授に前科・前歴がないことも踏まえ、Aが一度電車を降りたのに再び同じ車両に乗って被告の隣に立ったこと、執拗な痴漢行為に対し積極的に避けようとしていないことなど、証言の不自然な点を指摘した。
判決は3対2の僅差で、5人の裁判官それぞれが異なる立場を示した。那須弘平裁判官(弁護士出身)は補足意見で、被害者供述が「詳細」「迫真的」「不自然な点がない」という一般的な理由だけで信用性を認定することに慎重な姿勢を示した。近藤崇晴裁判官(裁判官出身)は那須裁判官に同調し、被害者と被告人の供述が「水掛け論」になっており真偽不明であれば公訴事実は証明されていないと指摘した。一方、堀籠幸男裁判官・田原睦夫裁判長(反対意見)は、満員電車での回避行動の困難さなどを理由にAの供述は自然だとして有罪の判断を維持すべきだとした。藤田宙靖裁判官(学者出身)は理由を一切書かず無罪の結論にのみ同調し、この一票が3対2の帰趨を決めた。
多数意見は、満員電車内の痴漢事件では被害事実・犯人特定について客観的証拠が得られにくく被害者供述が唯一の証拠となりやすいこと、被害者の思い込み等により誤って犯人と特定された者が有効な防御を行うことは容易ではないという特質を指摘し、こうした事件類型では特に慎重な判断が求められるとした。
教授は事件後、無期限休職していたが、無罪判決を受けて職場に復職した。休職期間である3年間、定年退官が延期されていた。判決後、『週刊金曜日』768号(2009年9月25日号)は無罪判断を批判する特集を組むなど、この判決の当否をめぐっては公表後も論争が続いた。
本件は、満員電車内という物的証拠が得られにくい環境での痴漢事件について、被害者の供述のみに依拠した有罪認定の危険性を最高裁が正面から指摘した、痴漢冤罪をめぐる代表的な判例である。
2006年4月18日朝、東京都世田谷区内を走行中の小田急小田原線・成城学園前~下北沢駅間の準急電車内で、女性(A)の下着に手を入れ下半身を触ったとして、防衛医科大学校の教授が警視庁に強制わいせつ容疑で逮捕された。東京地検に起訴された後も、教授は一貫して容疑を否認した。 一審・東京地裁は、「教授の左手で触られていた」「満員電車で回避行動が困難だった」「一度電車を降りた後に被告の隣に立ったのは乗客に押されたため」とするAの証言の信用性を認め、懲役1年10か月の実刑判決を言い渡した。教授は控訴したが、東京高裁も一審判決を支持し、控訴を棄却した(2007年8月23日)。 教授側は最高裁に上告。2009年4月14日、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は、控訴審判決を破棄し、刑事訴訟法411条3号に基づき、痴漢事件としては初の逆転無罪判決を言い渡した。本件の証拠は被害者Aの供述のみで、被告人の手指の繊維鑑定は行われたものの、検出された繊維がAの下着に由来するものかどうかは不明だった。判決は、教授に前科・前歴がないことも踏まえ、Aが一度電車を降りたのに再び同じ車両に乗って被告の隣に立ったこと、執拗な痴漢行為に対し積極的に避けようとしていないことなど、証言の不自然な点を指摘した。 判決は3対2の僅差で、5人の裁判官それぞれが異なる立場を示した。那須弘平裁判官(弁護士出身)は補足意見で、被害者供述が「詳細」「迫真的」「不自然な点がない」という一般的な理由だけで信用性を認定することに慎重な姿勢を示した。近藤崇晴裁判官(裁判官出身)は那須裁判官に同調し、被害者と被告人の供述が「水掛け論」になっており真偽不明であれば公訴事実は証明されていないと指摘した。一方、堀籠幸男裁判官・田原睦夫裁判長(反対意見)は、満員電車での回避行動の困難さなどを理由にAの供述は自然だとして有罪の判断を維持すべきだとした。藤田宙靖裁判官(学者出身)は理由を一切書かず無罪の結論にのみ同調し、この一票が3対2の帰趨を決めた。 多数意見は、満員電車内の痴漢事件では被害事実・犯人特定について客観的証拠が得られにくく被害者供述が唯一の証拠となりやすいこと、被害者の思い込み等により誤って犯人と特定された者が有効な防御を行うことは容易ではないという特質を指摘し、こうした事件類型では特に慎重な判断が求められるとした。 教授は事件後、無期限休職していたが、無罪判決を受けて職場に復職した。休職期間である3年間、定年退官が延期されていた。判決後、『週刊金曜日』768号(2009年9月25日号)は無罪判断を批判する特集を組むなど、この判決の当否をめぐっては公表後も論争が続いた。 本件は、満員電車内という物的証拠が得られにくい環境での痴漢事件について、被害者の供述のみに依拠した有罪認定の危険性を最高裁が正面から指摘した、痴漢冤罪をめぐる代表的な判例である。
- 事件発生
- 2006年
- 被告人
- 名倉 正博(なぐら まさひろ)
- 判決
- 強制わいせつ罪で起訴 → 一審:懲役1年10月の実刑 → 控訴審:控訴棄却(有罪維持、2007年8月23日)→ 上告審:破棄・無罪(2009年4月14日、最高裁第三小法廷)
- 現在のステータス
- 無罪確定
- 冤罪の原因
- 目撃証言の問題、痴漢冤罪の構造、客観的証拠の欠如
タイムライン
小田急小田原線の準急電車内で女性の下着に手を入れ下半身を触ったとして、警視庁が防衛医科大学校教授を強制わいせつ容疑で逮捕した。教授は一貫して容疑を否認した。
東京地検が強制わいせつ罪で起訴した。
東京地裁は、被害者Aの証言の信用性を認め、懲役1年10か月の実刑判決を言い渡した。正確な判決日は未確認だが、控訴審の事件番号(平成18(う)2995)から2006年中の判決と判断した。
東京高裁は一審判決を支持し、控訴を棄却した(平成18(う)2995)。
最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は、客観的証拠の欠如とAの証言の不自然な点を指摘し、控訴審判決を破棄して無罪を言い渡した。痴漢事件としては初の逆転無罪判決。3対2の僅差での判断だった。